

吉野ヶ里町のイデマン醤油味噌醸造元
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【今日の配達】今日は地元のち浮羽
2012年09月08日
soy at 12:23 | Comments(0) | 今日の配達
朝は晴れていたのに、
空が真っ暗になっていき
雷が・・・

もうすぐ荒れそうな
吉野ヶ里町です。
今日は、
地元吉野ヶ里町を廻って、
午後から鳥栖~浮羽に向います。

写真は、吉野ヶ里町にある
「下石動(しもいしなり)天満宮」です。
石動(いしなり)
吉野ヶ里町の山側に位置する石動地区ですが、
なかなか読めない方も多いです。
地名の由来は・・・
鎮西山に狼煙(のしろ)台を築くため、
石を運び、すっかりなくなったので「いしない」と
呼ばれるようになったとも、
大水のときに川の水が響きを立てて流れることによるとも
言われています。
こちらの天満宮は、
平成5年(1993)に農林水産省の農村景観百選、
平成9年(1997)には佐賀新聞社・県内郵便局主催による
「21世紀に伝えたいふるさと景観」の「新さが百景」に選ばれています。
天満宮には、菅原道真第14代の孫「立石広玄」氏が
下石動に住んでいて、
元亀(がんき)3年(1572)、居宅の鬼門に社を建て、
菅原道真を祀ったと言われています。
天満宮の前には清冽な川が流れ、
推定樹齢550年の大楠や
推定樹齢450年の大銀杏の木があり
神社へは二基の神橋を渡って入るようになってます。
【天満神社御由緒】にはこう記されてます。
一、御祭神:管原道真公
一、勧請年月日 元亀三年(1572)壬申八月廿五日
一、祭典 祭礼 毎年 八月廿五日
大祭 廿五年祭(4月)
平安時代の後期、正暦4年(993)に管原道真公の末孫藤原良宿は、
肥前の守に任ぜられて養父郡立石村(現鳥栖市麓区立石)に居を構え、
その一族は代々立石氏を名のって東肥前の一帯で覇を競ったが、
元亀3年(1572)道長公14代の末裔立石大蔵之助管原広玄は、
時の豪雄龍造寺隆信と和を結びこれに従属して石動に領地を移し田地八十町余を賜った。
ついで、広玄は自らの館の鬼門にあたる丸山の東面、
風景絶佳の地に社殿を建立して、道長公自作のものという菅家伝来の彫像を奉祀して
天満宮と称したが、この下石動天満神社の発祥である。
その後、桃山期に入って、広玄四代の孫立石代右衛門管原玄連は、
白石の藩祖鍋島山城守直弘の家臣となった後も、
かってのゆかりの地石動村八十町歩を領分したので、
荒廃した境内を補修し社殿を新に再建して、
例年8月25日には祭典を執行、以来地域の由緒ある古社として人々の
尊崇を集め今日に至ったものである。
参考文献「吉野ヶ里町誌」
空が真っ暗になっていき
雷が・・・


もうすぐ荒れそうな

今日は、
地元吉野ヶ里町を廻って、
午後から鳥栖~浮羽に向います。

写真は、吉野ヶ里町にある
「下石動(しもいしなり)天満宮」です。
石動(いしなり)
吉野ヶ里町の山側に位置する石動地区ですが、
なかなか読めない方も多いです。
地名の由来は・・・
鎮西山に狼煙(のしろ)台を築くため、
石を運び、すっかりなくなったので「いしない」と
呼ばれるようになったとも、
大水のときに川の水が響きを立てて流れることによるとも
言われています。
こちらの天満宮は、
平成5年(1993)に農林水産省の農村景観百選、
平成9年(1997)には佐賀新聞社・県内郵便局主催による
「21世紀に伝えたいふるさと景観」の「新さが百景」に選ばれています。
天満宮には、菅原道真第14代の孫「立石広玄」氏が
下石動に住んでいて、
元亀(がんき)3年(1572)、居宅の鬼門に社を建て、
菅原道真を祀ったと言われています。
天満宮の前には清冽な川が流れ、
推定樹齢550年の大楠や
推定樹齢450年の大銀杏の木があり
神社へは二基の神橋を渡って入るようになってます。
【天満神社御由緒】にはこう記されてます。
一、御祭神:管原道真公
一、勧請年月日 元亀三年(1572)壬申八月廿五日
一、祭典 祭礼 毎年 八月廿五日
大祭 廿五年祭(4月)
平安時代の後期、正暦4年(993)に管原道真公の末孫藤原良宿は、
肥前の守に任ぜられて養父郡立石村(現鳥栖市麓区立石)に居を構え、
その一族は代々立石氏を名のって東肥前の一帯で覇を競ったが、
元亀3年(1572)道長公14代の末裔立石大蔵之助管原広玄は、
時の豪雄龍造寺隆信と和を結びこれに従属して石動に領地を移し田地八十町余を賜った。
ついで、広玄は自らの館の鬼門にあたる丸山の東面、
風景絶佳の地に社殿を建立して、道長公自作のものという菅家伝来の彫像を奉祀して
天満宮と称したが、この下石動天満神社の発祥である。
その後、桃山期に入って、広玄四代の孫立石代右衛門管原玄連は、
白石の藩祖鍋島山城守直弘の家臣となった後も、
かってのゆかりの地石動村八十町歩を領分したので、
荒廃した境内を補修し社殿を新に再建して、
例年8月25日には祭典を執行、以来地域の由緒ある古社として人々の
尊崇を集め今日に至ったものである。
参考文献「吉野ヶ里町誌」
ベトナム飲食品専門店@HONG QUAN(ホン ウォン)
れんこん畑で育ったみらいコーン@黒木農園
待ってました!湯がきたて竹の子直売所OPEN
ユートク跡地にはalzo(アルゾ)
【今日の配達】今日は福岡方面@サザエさん通り
【今日の配達】今日は佐賀方面@スミレキッチンさんのランチ
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